子どもが欲しいと思っている人にとっては
周りの妊娠報告というものは
”ストレス”になり得ることの1つです。
しかも妊娠報告というのは、突然に
そして何度も降りかかってくる可能性があり
その度に気持ちが落ち込んでいては
身が持たないものです。
私はこれまでに
4年以上不妊治療に取り組んでいます。
その間にも周りの結婚・出産ラッシュが訪れ
ふと妊娠報告を受けては
何度も落ち込んだ経験があります。
しかし、何度も経験していると
周りの妊娠報告に対して
気持ちが落ち込んで泣けたり
どす黒い感情が沸いてきたりする時もあれば
最初に動揺はするものの、
意外とすんなり受け入れられ
穏やかに相手の健康や
出産の無事を祈ることができる時もあり
全ての妊娠報告に対して、必ずしも
嫌悪感や悲しみが生まれるわけではない
という事に気づきました。
なぜ、こうも反応が違うのでしょうか。
ふと疑問に感じ、今回
私なりに考察してみました。
そこで以下の4つの点において
感情の違いが出てくるのではないか
と考えました。
順番に述べていきます。
こちら側の状況
まず、1つ目は
「報告を受けた時の私側の状況」によって
受け取り方が変わるということです。
気持ちが落ち込んだ時というのは
結果が出ずに治療への不安感があったり
「どうして妊娠できないのか?」という
悲しさ・悔しさが自分の中にあったりして
気持ちが不安定な状況でした。
友人は苦労もなくすぐに妊娠し(ているように見え)
一方で私は努力しても妊娠できない。
この状況のギャップにも苦しみました。
私がなりたかった姿に
いとも簡単になれる友人に
正直羨ましさもありました。
一方で、
すんなり受け入れられた時というのは
不妊治療中であっても、
妊娠への期待が持てる段階での報告でした。
治療や未来に対し
前向きに取り組んでいる時期だったので
気持ちが沈むことはありませんでした。
仮にこれが、陰性判定後や
治療に行き詰まりを感じていた時だったら
全く反応は違っていたことでしょう。
気持ちはドン底まで沈み
辛い、悔しい、もう嫌だと思っていたでしょう。
結局友人の妊娠報告のタイミングと
こちらの状況の良し悪しによって
受け止め方は大きく変わってくるということです。
これは正直”運”なので、
しょうがない部分だと言えます。
報告者との関係性
2つ目は、
「報告者との関係性」です。
例えば、報告者が親友である場合や
何度も会っている親しい間柄の場合
お互いの状況を知っている場合が多いでしょう。
親しい人のことは
比較的肯定的に捉えられるため
報告を受けた瞬間は動揺してしまったとしても
素直に喜んであげることができると思います。
一方で、そこまでの間柄がない場合は
(特にSNSでしか関わらない友人や有名人など)
肯定的な気持ちはそこまで強くないため
ふと報告を受けて、嫌悪感や劣等感といった
マイナスな感情が生じやすくなります。
なお、親しい関係性といっても
例えば姉妹間で
「後に結婚した妹が先に妊娠した」など
妊娠の順番を意識するような場合には
「後から結婚したのに先に妊娠した」
という順序に無意識に囚われ、
マイナスな感情が生まれやすい状況になる
と考えられます。
報告のされ方
3つ目としては、
「報告のされ方」によっても
受け取り方が大きく変わります。
例えば、直接本人から報告された場合
その場ではどうしても動揺するものの、
そこに「あなただからこそ直接伝えたい」
という自分に対する誠意が感じられると
自然とその人を
応援したい気持ちが湧き出てくるものです。
一方で
SNSで「ご報告」投稿されたものや、
マタニティフォト、エコー写真、胎動の動画など
不妊治療者が望んでいる「妊娠」「幸福感」を
まざまざと見せつけてくる報告のされ方は
不妊治療者にとって眩しすぎるがゆえ
影の部分をさらに濃くしてしまいます。
ただでさえ他人の妊娠には動揺しやすいのに
こういう報告の仕方には、時に
嫌悪感や拒絶感まで感じられます。
ひどい時は縁を切ることを考えたり
SNSならブロックをしたり、
友人関係に影響を与えかねない事態になります。
ここで1つ述べておきたいのは
こういった投稿、報告の仕方を
決して否定しているわけではないという事です。
この報告者は自分の状況をありのまま伝えたい
もしくは
流行りの方法、映えた投稿で伝え
自分の状況を記録しておきたいだけなのです。
(この文章に少し毒がある感じは否めませんが😅)
中にはマウントを取りたくて
こういう報告をする人もいるかもしれませんが
多くの場合は、決して悪気はないはずです。
ましてやそこまで親しくない間柄なら、
こちらが不妊治療をしていることは
その人が知っているはずはありません。
だから、一見配慮のない投稿に見えても
しょうがないのです。
なぜならその人は
この投稿で傷つく人がいるなんて
思ってもいないのだから。
もしかしたら私の投稿している
SNSやこういったブログでも
どこかには、傷ついている人や
不快に思う人がいるのかもしれません。
でも、書いている本人は
そんな人がいるなんて思っていないものです。
配慮がないと言えばそれまでになりますが
配慮のしようがないのも事実です。
こういったSNSは
書かせないようにすることはできないので
目に毒なものは見に行かないようにする
しか予防策はありません。
気持ちを安定させ、
前向きに不妊治療に取り組むためにも
見たくないものは見ないのが1番です。
とは言いつつも
気になって見に行って
また玉砕するのがオチですが…
予防線を張っている
4つ目は、過去の経験により
「予防線を張っている」ことです。
不妊治療歴が長くなった今では
不妊治療をしている自分と向き合い、
淡々と不妊治療に向かっています。
日々、自分との戦いをしてきているので
「周りと比べても意味がない」
と実感しています。
本音を言うと
「周りの妊娠報告」よりも
もっと辛く、苦しい事を不妊治療では経験し
そして乗り越えていかなければならないので
友人の妊娠でも
いちいち落ち込んでしまっていては
「正直身が持たない」
というのが正しいのかもしれません。
それよりも今の治療を頑張る。
今自分にできることに取り組む。
こうやって無意識にでも
予防線を張っているからこそ
気持ちがいっぱいにならずに済んでいます。
まとめ
周りの妊娠報告を見聞きした時には
気持ちが落ち込んでしまうこともあれば
意外とすんなり受け入れられることもあります。
その違いには今回述べた
- 報告を受けた時のこちらの状況
- 報告者との関係性
- 報告のされ方
- 予防線を張っていること
といった部分が影響していると思います。
周りからの妊娠報告に対して
「悲しくて辛くてしょうがない」
「どす黒い感情を抱いているなんてダメだ」
そう思っている方がいらっしゃるのなら
やみくもにその感情を押さえつけるのではなく
この妊娠報告のどういった所に
「自分は嫌悪感を感じているのか?」
「なぜこんなに動揺してしまうのか?」
一度考えてみるのもいいかもしれません。
自分の素直な気持ちと向き合え
周りの妊娠報告を
冷静に受けとめられるかもしれません。
また、
長らく不妊治療をしてきて
こういった報告で傷つく経験をしてきた私は
自分が何かを発信する時や、
友人と会話をする時には
相手のバックグラウンドを気にしたり
価値観や状況に配慮することを意識して
発言するようになりました。
不妊治療は、なかなか結果が出ないなど
辛いことも多いですが、その不妊治療によって
「人として深い所で成長させてもらえている」
と自分を認めてあげてはいかがでしょうか?
※あくまで個人の見解です。
※体験・経験をもとに作成しています。
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